―「COPPER RAVENS power'd by GAUCHO」について教えてください。
元々都町で「GAUCHO」ってライブハウスを8年営業していて、別府に引っ越してきて1年半くらいかな。表に前の店「COPPER RAVENS」のでっかいネオンの看板があってね。あれを全部変えるとお金がかかるもんだからどうしようって悩んでね。「COPPER RAVENS」の下にちょこっと「GAUCHO」って入れようと思って。で「COPPER RAVENS power'd by GAUCHO」ってしたの。無理矢理くっつけたんですよ(笑)。なんとか「GAUCHO」くっつけなきゃいかんなと思って。
主にバンドイベントをしてますね。バンドはロック系が多いかな。大分のアマチュアや県外から来たり。世代は高校生や社会人のバンド。基本的に高校生のバンドが多いかもしれない。
―大分の音楽シーンの現状は?
10年以上前くらいかな。バンドブームの頃はバンドの数も多かったけど、減っていってね。これからどうしようかなって(笑)。昔、ディスコが流行った頃はソウルしかなかったけど、今はヒップホップ、レゲエ、ジャズ、ハウス、トランスとかいろいろあってどんどん細分化して、集客も少なくなってきているんじゃないかな。昔は200人とか平気で集まってたけど。ジャンルが細かくなって、ジャズでもひとくくりにしてたのが、なんとかジャズとか細かくなっていろいろ分かれて、イベント自体もそうだけど、お客さんも分かれていったね。選択肢は広がったけど、集客は厳しいね。僕自身はレコードも聴くけど、元々バンドをやっていたのもあって、生のバンドの演奏が緊張感があって好きかな。
―ご自身はどんなバンド活動をされていたんですか?
東京の大学行ってバンド組んでてね。その頃、僕はギターをやってた。たまたまバンドのボーカルが役者をやってて、そいつが藤谷美和子やたのきんトリオと同期で、当時、NHKの中学生日記とか銀河テレビ小説に出演してたんですよ。で大学卒業するかしないかってときに「レコード作りますか」って話があってね。「大阪で生まれた女」を作ったBOROって人がバンドに曲を作ってくれてね。でもレコーディング当日、ボーカルがアホだから、仮で録音するときに勝手に歌詞を変えちゃったのね。それでプロデューサーが怒っちゃってね。おじゃんになっちゃって(笑)。
それから役者やってたボーカルの事務所に出入りするようになって、社長に「テレビ出てみろ」って言われて、ドラマや映画とかちょこちょこっとやらせてもらったりしたよ。倉本聡さん脚本のドラマで、天宮良と石田えりが出演してる「昨日、悲別で(きのう、かなしべつで)」とか、ちょこちょこっとね。
そんな感じで、東京に出て学校も行かず、大学6年も行ってバンドばっかりやってて。結局、音楽じゃ飯が食えなくて。田舎だとそこそこギター弾けるとすげえなとか言われるでしょ。とりあえず音楽で東京に行きたいっていうと親に怒られるから、とりあえず大学行っとけみたいな感じで、なんとか東京に行って、東京のレベルの高さを目の当たりにしてね。カルチャーショックを受けてだめかもって思ってね(笑)。
―大分に戻られてお店を開いたきっかけは?
東京で音楽をあきらめて、建設会社でサラリーマンをしてたんですよ。母が亡くなってちょっとしてから今度は父が亡くなって。「こりゃいかんなあ」と悩んでこっちに帰ってきた。就職を探さなきゃいけなかったんだけど、仕事がなくてね。兄貴が商売をやっていて、そこで一緒に働いてたんだけど、兄弟でするのもなかなか難しくてね。都町の店の店長と知り合いで、その頃はライブとかあんまりしてなかったのかな。その店長に店をやってくれって言われて。やってみようかと思って始めたのがきっかけ。たまたまDJの子たちが「場所を貸してくれ」ってなって、それからDJのイベントもやりだした。
人生たまたまでしょ。一生懸命やるしかないから。人生ってどこでどうなるか分からない。たまたまこんな感じになったけど、音楽で飯食えてるならいいかなと。これからどうなるか分からないけど、幸せなんじゃないですかね。
―影響を受けたアーティストは?
学生の頃はロックかな。アーティストは清志郎とか、シーナ&ロケットとか好きだったね。でも結構外国ものばかり聴いてたかなあ。元々アコースティックをやってて、それからハードロックにいっちゃったんよね。それからジャズっぽいクロスオーバーになって、ジャズやったりとか。影響を受けたアーティストはラリー・カールトン、ジョージ・ベンソン、リー・リトナーとかいっぱいいますね。なんでも聴くんですよ。よければいいていうか。ボサノバも聴くし、別にあんまりこだわってないですね。
―多彩な音楽に精通していらっしゃいますが、中でもお気に入りの
レコードは?
僕が店の名前に「GAUCHO」って付けたのはスティーリー・ダンのアルバム「Gaucho」からなんですよ。「Gaucho」は多分ラテン語で“遊牧民”て意味だったと思いますね。大学時代からそのアルバムがすごい好きで。音響屋さんが機材をセッティングしてライブが始まる前にサウンドチェックするでしょ。そのときにそれをかけるんですよ。録音がいいから。今はどうかな? 昔はそれをかけてたね。僕のブログの一番最初にも紹介してたと思うよ。
―現在は音楽活動をされてるんですか?
この間はサルサバンドを作ってライブしたんですよ。Youtubeで「ORQUESTA SU BOCA(オルケスタ・ス・ボカ)」って検索したら出てきますよ。僕はそのときは指揮者(笑)。基本打楽器をやりながらね。なんでもいいんです。今度はジプシー系のジャズをやろうと思ってるんです。アコースティックのね。ノスタルジックだけど明るい感じ。結構ね、ひとつのものを一生懸命やらないタイプだから。なんでもかじっちゃえっていう感じだから、落ち着かないんですよ(笑)。
―これからの若い世代にメッセージをお願いします。
いきあたりばったりですよ(笑)。まぁ、あまり深く考えすぎないように。一生懸命やってれば、何かチャンスがまわってくるから。いつかね、パッと出会うときがあるからそれを大事にすること。でも何かやってないと見えてこないだろうね。毎日カラオケボックス行ってわーわー騒いでても何も見えてこないだろうし。こだわりがあるといいよね。オタクというか・・・「kakula.jp」はオタクでしょ(笑)? オタクにならなきゃだめやし、何か一生懸命やらんと見えてこないと思う。出会いもないだろうし。いい出会いをするとね、人生を人が変えるもんね。一人じゃ何もできないから。周りの人が意外と助けてくれるってあるからね。
―日々大切にしていることは?
辛いときでもいいときでも笑っていられれば。暗い顔してるより、笑ってるといいことあるよ。悪いときももういいやって。やらないとどうしようもないからね。
―今後の展開は?
どんな動きになるのかさっぱりわからないけど、若いバンドを引っ張りだして、育てていきたいですね。もっといろんな若いバンドを見せたいし、引っ張りあげたい。僕自身がしてみたいことは、店は若い子に任せて、都町で焼鳥屋やりたいね。おねえちゃん口説きながらね(笑)。
大分市都町のライブハウス「GAUCHO」を別府市に移転し、「COPPER RAVENS」として新たにOPEN。
基本裏方に徹しているがボケ防止目的で自ら楽器をもってラテン・サルサバンドを結成予定。